1441年 室町幕府将軍 足利義教の代にて
義教の弾圧政治に身の危険を感じた守護に暗殺をされる事件が起きて、幕府の信頼は血の底に落ちました。
大飢饉
そのころ近畿や北陸では大飢饉で、戦乱が起こり、8万人が飢餓となりました。
そんな中、8代目将軍義政は…
8代目将軍義政は、民衆が飢餓に苦しむ中、、趣味や観光に没頭していた。
義政の弟と、子供が喧嘩。
これがきっかけで、守護含め対立し、応仁の乱となった。
応仁の乱は11年も続く泥沼合戦
11年続いて、結局勝者はいないらしい。最後はトップ同士が病死したことで、息子同士が和睦を結び、戰が終わった。
応仁の乱は終わったが、
それがきっかけで、元々の守護代からの大名や、民衆の下克上による大名が、戦国大名となり、戦国時代が幕を開ける。
能と狂言の起源
能と狂言の起源は、平安・鎌倉時代に流行した[猿楽]にあるという
その[猿楽]は、[神楽]の余興として始まった。
観阿弥は、[猿楽]に音楽と舞踊性を取り入れた。
世阿弥は、美しく静かに舞う幽玄な[能]
狂言は、[猿楽]の笑いを受け継いだ、セリフ劇
コメント