5世紀中ごろから朝鮮半島から仏教が伝来した
そして、挑戦からの渡来人を組織する蘇我氏 VS 神事に関わる職能集団を従える物部氏 の対立
※これは神道か仏教かという話ではなく、次の天皇を誰がたてるのかをめぐる戦い。
結果、蘇我氏WIN!!
蘇我氏の娘を皇族に嫁がせて、産まれた子を天皇にする外戚政治を作る。
この飛鳥時代を築く推古天皇、厩戸皇子(聖徳太子)も蘇我氏の血をつぐ。
600年年代に入ると、推古天皇、厩戸子皇子、蘇我馬子が相次いで死す。
その後、蘇我蝦夷と蘇我入鹿親子が政治の支配権を握る。彼らが擁立した34代舒明天皇の崩御後、山背大兄王(やましろのおおえのおう 厩戸皇子の息子)が時期天皇を推戴されていたので、入鹿が山背大兄王を殺害する。
そんな蘇我親子に反発したのが、舒明天皇の息子 中大兄皇子と、皇族 中臣鎌足。 彼らが手を組んで、蘇我入鹿を殺害し、蘇我蝦夷を自害させた。
これを〔乙巳の変 いっしのへん〕という
その後、中大兄皇子はまだ若いため、叔父の36代孝徳天皇に位を譲り(故にこの乙巳の変の黒幕が孝徳天皇という説もあるらしい)、自身は摂政に就任し、改新の詔を発表。
戸籍法の整備、地方行政の整備など、唐の官僚制度を元に、天皇中心の国づくりを目指す中央集権国家を目標とした。
この一連の流れを大化の改心と呼ぶ。
なんと日本の初めての年号【大化】というらしいです!
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