1830年-1859年
吉田松陰が生まれた家庭は代々先生の家系で小さい頃からスパルタ教育を受けていたそうです。
1853年 ペリーの黒船来航に立ち会い、衝撃を受けます。
そしてこんな強大な軍を駆逐するには、欧米の文化や技術を学ばないといけないと考え、密航を計画します。
黒船に小舟を横付けし、アメリカ人に共に渡米することをお願いするが、当時条約を結んだばかりなので追い返されます。
そして、自首します。※当時鎖国の時代ですから外国に行こうとする事で死刑に処せられたからです。
そして、1年間牢獄入れられます。
ですが松蔭はめげません。
めげるどころか勉強を始めます。1年間のうちに600冊の読者をし、他の囚人に講義を行い、学問の大切さを解きました。
牢獄をでてから、松下村塾を引き継ぎます。
生徒は90名ほど、よく通ったのはそのうち40名。なんとその中には、高杉晋作や伊藤博文がいました。
それから2年ほど経った頃、尊王攘夷派の吉田松陰らを弾圧しようとする、間部詮勝(まなべあきかつ)を殺すよう門下生に指示し、更に長州藩に間部を殺すために武器を貸して欲しいと頼みます。吉田松陰は『損得を考えず、先駆けとなって大義のために行動する』ように門下生に伝えたかったのです。
ですが、当然また牢獄に逆戻りします。
門下生たちは、そんな過激な吉田松陰から離れていきます。
そして幕府によって吉田松陰は殺されます。当時まだ29歳
不思議なことに、吉田松陰が殺されたことで、弟子たちの様子が変わります。
イギリス公使館を焼き払ったり、外国船に大砲を放ったりとどんどん戦死していきます。
良い悪いではなく、これだけ人は人を動かせるということに驚きます。
僕も会社でリーダーの立場ですが、よく小さな事を説教したりします。欠点ばかり探してしまいます。
そうではなく、吉田松陰のように、人の才能を見つけ出し、そこを広げてあげる、気づかせてあげる、モチベーションをあげる。
そんなリーダーになれるように頑張ります。
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